「便利」を選ばない



世の中は色々な便利グッズであふれています。手に取りやすい「プチプラ」なものがたくさんあり、ひとつの物にたいする選択肢もとても多いですね。

「これがあると便利だな」と思って何かを購入するということは良くあるはず。しかし、現代社会が直面している過剰消費とそれによるプラスチックごみ問題や海洋汚染問題はすべて、この“便利”を求めすぎた代償なのです。

きれいな飲み水があり、電気が通っていて、生活できる家がある。ライフラインに不便のない生活が当たり前と感じがちですが、すべては限りある資源のもと成り立っているのです。

私は外で時間を過ごすことが大好きで、家族でよくキャンプにも行きます。キャンプ中は、電気がないので限られたガス缶で灯りをつけ、持参したウォータータンクに入っている水だけで飲み水や調理水、手洗いとして使います。なくならないように、無駄のないように数日間大事に使います。そこで、意外と少ない量で済むことや、普段の生活がいかに便利で且つ多くの物に囲まれているかに毎回気付かされます。

例えば、日本人1人当たりの年間消費量160本以上と言われているペットボトル。低価格で買えて、飲み終わったらすぐに捨てられます。カバンの中でずっと運ばなくてもすむし、毎回洗わなくてよい。おまけに飲み物の選択肢も豊富で常に新しいドリンクが発売されています。マイボトルを持ち運ぶよりも遥かに「便利」です。

 

例えば、一度使ってポイできる!が宣伝文句のジップ付きプラ製バッグ。液体を入れても漏れない優れた密閉性、お料理にも使えて汚れたら捨てられるので衛生的にも良し。最近ではかわいいデザインのものもたくさんあってとても「便利」です。

例えば、置いていないという家庭はほとんどないのでは、というほどの生活必需品的なサランラップ。これもまたパッと使えてパッと捨てられる、食品保存にとても「便利」なアイテムです。

しかし、こういった便利なものは、はたして本当に「便利」なのでしょうか?「便利だ」というマーケティングに乗せられて、モノの本質的な良さや手間をかけることの大切さを忘れかけていませんか?

これらの便利なものに共通しているのは、使い捨てであること、そしてプラスチック製であること。そしてこの先数百年残る消えないゴミとなることです。

私たちは皆、仕事に追われたり、家事や育児に追われたり、毎日を必死に生きているせいでつい時短や利便性を求めがちです。

でも、少しでも立ち止まる時間があるとしたらそんな忙しい生活の中で何かに手間をかけることをしてみてください。1日の中で数分、1週間に1度でも良いから「便利を選ばない」を試してみてください。いらないと思っていた何かに時間をかける大切さや、本当に必要なものとそうでないもの、よりシンプルでミニマルな生活に近づくヒントが得られるかもしれません。

 

1件のコメント

  • 一文一文に共感します。今ある便利をあきらめないとこのまま悪化していくのみだと。先日、レジ袋有料化でコンビニのおにぎりやサンドイッチを手でそのまま持っているサラリーマン4、5人のグループを見て「いいぞいいぞ!」と思っちゃいました。「すぐ慣れるよね」と呟いていて、そのとおり、と話しかけたくなってしまいました。みんな、一度やってみればレジ袋をもらわないこと、ペットボトルを買わずにマイボトルを持ち歩くことの簡単さに気づいてもらえるんじゃないかと希望の気持ちが芽生えた瞬間でした。

    moco

コメントを残す

コメントは表示される前に承認される必要があります。